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六甲山で暮らすリアル Vol.2  山上で近隣の人々と共に働く「庭師」

20年以上にわたって六甲山で暮らし続けているジョシュさんファミリー。何度も山上で引っ越した経験があり、実は前回記事に取り上げた髙山さん一家が暮らしている物件の前オーナーでもあります。現在は六甲山上では希少と言われるログハウスで生活しています。

現在の住居の前で。ジョシュ・デサンティスさんと奥様。

神戸に来るきっかけをつくった阪神淡路大震災

――そもそもジョシュさんが六甲山に住むようになったのはどのような経緯だったのですか?

きっかけは1995年に阪神淡路大震災があったことです。そのとき私は名古屋に住んでいたのですが、地震の後、友人が現地のボランティアとして復興を手伝ってはどうかと言ってくれました。私は日本にもたくさん友人のつながりがあって、その中に阪神淡路大震災のボランティアとして参加した人も少なからずいました。それで私も神戸に行くことにしたのです。

――神戸に来たのはそのときが初めてでしたか?

いえ、中国から日本に移ってきたときに寄港した場所が神戸でしたから2度目ですね。

――日本での生活はもうどのくらいになるのですか? 

日本での生活はもう40年以上になりました。

六甲山上でこのようなカナディアンログハウスの物件は珍しい。

――もともとご出身はどちらで、これまでどういったところで住んできたのですか?

私はアメリカのボストンで生まれて育ちましたが、アジアでの生活が長いですね。仕事の関係でまずインドネシアに5年暮らしました。次に中国。鄧小平がリーダーだった頃で、中国は世界に開こうとしていました。私は北京に招かれて2年間英語を教えました。しかし徐々に国情が変化しつつあるのを感じ、そのタイミングで日本に来ないかと友人から誘われたのです。日本に行ったことはそれまでなかったですが移ることを決めました。直後に北京の天安門広場で事件が起こったので、おかげさまで中国を出て良かったと思いました。

――日本では他にどんな街に住みましたか?

千葉、前橋、札幌などです。いろんな土地に暮らしつつ、英語教師やボランティアをしていました。

ラーンネット・グローバルスクールと六甲山

――阪神淡路大震災後のボランティア参加がきっかけで神戸に来るようになったとのことでしたが、その時点で引っ越してこられたのですか?

YMCAや教会などいろんな場所で復興の手伝いをしたのですが、継続的に神戸に来て手伝いができるようにと大阪に越しました。それからしばらくして復興が落ち着いて、神戸に移りました。

六甲山上は意外とコンクリート造の建物が多く、このように木造で、かつ小ぶりな建物はあまり多くない。

――ご家族と一緒に?

ええ。うちは大家族だったから家を見つけるのが大変でした。6人の娘と3人の息子。子どもたちだけで9人居ましたからね。
そして六甲山へ家族で訪れる機会がありました。最初はレジャーで、自然の中でハイキングやピクニックをしました。
それから私は「ラーンネット・グローバルスクール」という、岡本に拠点を持つ学校で英語を教える仕事に就いたのですが、彼らは六甲山にも拠点をつくろうとしていて、そこで教える先生を探していました。だから私は週に2、3回仕事で六甲山上に行くようになりました。そのときも子どもたちを連れて。そういった経緯で六甲山との縁が増えていきました。

――六甲山に住むようになったタイミングは?

六甲山に来るたび、山上にたくさん空き家があることに気づいていました。しかも広そうな物件が多かった。都心部では私たちのような大家族が住むための家は高かったので、興味を持っていました。
そしてサマースクールで子どもたちにさまざまな自然活動を教えるプログラムに関わり出したことがきっかけで、住みながらスクールの拠点としても使える建物を探し始めました。そして古いけれどとても広い建物を見つけ、オーナーに交渉して借りさせてもらうことができました。それが六甲山で暮らすようになった最初です。

ログハウスの玄関。

――山での生活にはすぐ適応できたのですか?

最初に住んだ物件はかなり古かったのと、今住んでいるこのログハウスと違ってコンクリート造だったから除湿が大変でした。建物の至るところに除湿機を入れていました。
20年山上に住む中で何度か引っ越しをしましたが、3度目に住んだ家は景色が格別に素晴らしかったですね。あの家は湿度もそこまででもなかったし、住み心地が良かったですね。

子育てと六甲山

――六甲山に越してきたとき、お子さんたちはどんな様子でしたか?

子どもは9人と言ったけど年長の2人は六甲山に引っ越すタイミングには既にアメリカの大学に通っており、居ませんでした。ひとりずつ自立し始めていました。
真ん中の子たちは、コンビニがない、ツタヤがないと言って最初の一年くらいはカルチャーショックを受けて戸惑っていましたが、徐々に慣れていきましたよ(笑)
一番若い下の子たちは、あっという間に自然になじんでこの環境が大好きになりました。ツリーハウスをつくったり、動物を飼って世話をしたり、魚釣りに行って取ってきた魚を近くの池で育てたり、庭に木を植えたり。雪が積もったときは大きな雪だるまをつくり、坂でそりをして遊びました。秋には薪集めの仕事を手伝い、冬に薪ストーブの使い方も学ぶ。そんな風に育っていきました。

ジョシュさん一家は、六甲山に暮らしてもう20年になる。

このように、自然と直接的に触れ合う生活を心から楽しみ、この場所から離れたくないとよく口にしていました。 
私たち夫婦は、六甲山の自然の中で子どもを育てたことがすごく良い結果に結びついたと実感しています。

六甲山のお助け庭師

――その後も、六甲山で子どもたちに自然の中での遊びを教える活動をずっとしていらっしゃったのですか?

2014年頃から変化がありまして、庭師のようなことを始めました。若かった頃、アメリカ時代にそうした仕事をしていた時期があったのと、何より大きな理由は近隣の人たちから家の周りの手入れのことで手伝いや助けを求められることが日常的に少なくなかったからです。
六甲山は、国立公園としての規制がある分禁止事項も多く結果的にジャングルみたいになってしまっているところも多いし、街から越してきた人々が自然の脅威の中でどうしていいかわからず困ってしまう場面も少なくありません。
木が倒れたときなどお困りのときに対応してあげていたのですが、息子と私で庭師業を始め仕事として請けることができるようにしたんです。何かあると近所の方から頼りにされています。

現在子どもたちは独立してオーストラリア、インドネシア、アメリカなどに住んでいるという。

――山での暮らしが初めての方にとっては心強いでしょうね。

そうなのです。もうひとつ数年前から行っていることがあって、それは定期的なバーベキューパーティーです。お話したように、もともと私の家は大家族ですから家族だけでもバーベキューが大掛かり。それならいっそ、近隣の方たちも誘ってもいいんじゃないかという話になりました。最初は25人くらいでスタートしたのですが、気づけば40〜50名、多いときには70名程になることもあります。年に1〜2回開催しています。

「定期開催するバーベキューは山上で近隣に住む人同士の関係が深まる機会なんです」。

このバーベキューは、山上に越してきた人同士が交流する場になっているんです。越してきたばかりでまだ知り合いも少なく山の生活に慣れていない人々にとっては、横のつながりを持てる貴重なきっかけづくりの場でもあります。
毎回食料が70名分も準備できるのかなと不安になるのですが、結果的に皆さん何かしら持ってきてくださるから実は困ったことはないですね(笑) 

ジョシュさんの家に行く途中の風景。

――山上に住む人々にとっての貴重なコミュニティーにもなっている?

そうかもしれないですね。私たちが20年前六甲山に来たときはなかったです。会社の保養所はたくさんあったし、そこを管理している管理人さんは住んでいましたけど、フランクな近隣のコミュニティーがあったかと言えばそうではありませんでした。
今は山の上で生活する人たちも増えてきたし、だからこそ庭師を通してたくさんの隣人と知り合いになり、またバーベキューイベントなどをする中で、近所の方々と共に過ごす場面が増えていることを嬉しく思います。

ログハウス2階の様子。 写真提供=ROKKO LOG HOUSE

都市にあるものを山にあてはめるのは本当の楽しみではない

――改めて六甲山の魅力はどんなところだと思いますか?

都市のイメージをそのまま山に持ちこんでビジネスにしようとしている開発事業者や観光事業者を見かけますが、都市のものを山に持ってきてもあまり意味がないのでは?と思うことはありますね。
住んだことがないためにずれた解釈をされているケースは少なくない気がします。都市ならどこでも出来るものでなく、もっと六甲山にしかないものにフォーカスをあてた方が良いのではないかと思います。
すでに六甲山にあるものは豊かですし、都市にあるものを持ってきて豊かとする必要はないのです。
それと、私たち家族はいろんな国に住んだし田舎にも住んだこともありますが、高い山と大都市の組み合わせがこんなふうに実現できる六甲山は世界的に見ても大変貴重ですね。このような地形は少ないです。そこは本当に他の山上生活と違う優位性です。

――今お住まいのおうちをロングステイの宿泊滞在者向けに貸し出し始めていると聞きました。

1階。このログハウスについて詳しくは https://rokko-loghouse.com/  写真提供=ROKKO LOG HOUSE

申し上げた通り、イメージだけで六甲山を捉えることはどうかと思いますし、夢ばかり膨らませて実際に山上での生活体験をしたことがないままいきなり物件購入するのが良いとは限りません。訪れて、体験して、数か月でも住んでみることが大事と思います。
それで最近私たちが住んでいるログハウスをホームステイされる方のためにオープンすることにしました。四季を通して、いろんな六甲山の生活を経験していただくことができます。
既に知人や親戚がホームステイしたのですが、神戸・大阪・京都に近く、それでいて大自然の山の中で暮らすことができる六甲山の環境に感動していました。
私たちは長年六甲山を気に入って住んでいるので、この素晴らしい場所を皆さんと共有できることを幸せに思っています。

庭の紫陽花がログハウスとよく合って美しい。

(コラム執筆・写真=安田洋平)