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六甲山の歴史とイノベーション 〜グルームさんの開拓精神を継げ〜
六甲山を生活圏に引き上げた過去のイノベーター
日常生活の延長にある場所。阪神間で暮らしていると六甲山はちょっとハイキングしたり、土日に子どもたちを連れてケーブルカーで上がってピクニックをしたり、身近なレクリエーションの場という印象が定着している。山上からも自分たちの街がすぐ下に見下ろせるので、その意味でも生活圏の一部という実感を持っている。
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しかし、こうした文化はイギリス人貿易商、A.H.グルーム(※)が1895(明治28)年に六甲山上の池のほとりで別荘を建てなかったら今こうして享受できなかったかもしれない。こんもりと木が生い茂る今日の六甲山の姿からすると信じられないが、その当時はまばらに低い木が生えている程度で、一面荒涼としたはげ山だったそうだ。戦国時代や江戸時代に焼かれたり、木々の伐採が激しく行われたりしたからということだが、当時の記録によれば、初めて六甲山を海から見た人が、あまりに白々とはげ上がっていたために雪山だと勘違いした、なんて切ない話すら残っている。
※A.H.グルーム…1868年、神戸開港の折に日本に移り住み、貿易商としても成功を収めた。
そんなところにポツンと一軒家が建った。「こんな山上に人など住めるのか」。人影もまったくない荒涼の地に。しかし眺望の素晴らしさを気に入ったグルームさんは不便をものともせず、山上に新しい家を建てては友人を誘い、山上の住人を少しずつ増やしていった。当時の知事に砂防工事や植林の必要を説きながら、私費を投じて大規模植林や道路整備もしていった。そしてグルームさんが家を最初に建てたときから15年後の明治43年には、イギリス人・アメリカ人・ドイツ人・ベルギー人そして日本人の住宅が合計で60以上にも達していた。六甲開発の祖が英国人グルームとよばれるゆえんである。
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ゴルフ発祥の地
グルームさんはまた神戸最古のゴルフクラブ「神戸ゴルフ倶楽部」を六甲山につくった人でも知られている。仲間たちとゴルフをするために一念発起したとか(本人はそれまでゴルフをしたことがなかったのに)。グルームが1903(明治36)年にここをつくった当時は、至るところにある岩を埋めたり、笹の根っこを焼いたり、すべて人力で整地したのだそうだ。
このゴルフ場は100年以上経った今なお現役なのだが、ROKKONOMADの目と鼻の先なので、行きがけに美しい芝によくお目にかかっている。乱開発という雰囲気でなく、むしろ地形なりに自然につくられているグリーンで、見ていても癒やされる。夕暮れどき、ゴルフ場の緑色が西陽に照らされて黄色く染まっていく光景は、ROKKONOMAD周辺を散歩するときの癒やしのひとつだと思う。
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六甲山をより良く使うチャンス、再び
グルームが先鞭をつけ、後世の人たちがそれを引き継ぎ、植林や砂防が地道に進められ、いつしか六甲は「東の軽井沢、西の六甲山」と言われるほどの避暑地になった。1956年には国立公園に指定され、そのブランドに拍車がかかった。高度経済成長期、さらにバブル景気と来てマウンテンリゾートはピークに。なんと1990年には229社もの保養所が建ち並んでいたという。
しかし、バブル崩壊、阪神淡路大震災があって景気は後退。この20年で企業の保養所は、その70%が閉鎖されたのだそうだ。気づけば、六甲山上には立派なつくりで絶景にもかかわらず、手入れをされず朽ちていっている廃屋があちこちに散らばっている。
もっともそれは考え方次第でチャンスな状況とも言えるかも知れない。光回線もこの12月に山上にも開通したし(待ちに待った)、今の時代、ネットさえ通じてしまえば作業も打ち合わせも特段支障はない。そして前回のコラム「都市から30分山上ワークのススメ」でも書いたとおり、自然の中に身を置き気分を気持ちよく切り替えられる場所が現代ワーカーにとっては不可欠だ。
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歴史をひもとくと、六甲山が人の力によって良い方向に変えられてきたということがわかって胸熱だ。かつてグルームさんがエリアポテンシャルを見出し再生したように、僕らも現代の視点から六甲山を再編集したい。実際、これからシェアオフィスとして活用しようとしているこの建物も、もともとは企業の保養所として建てられた。
また、ROKKONOMADが春にオープンしたらそこをいろんな方に拠点として使ってもらいたいのはもちろんだが、神戸市は六甲山上にオフィスを開設しようという事業者に対してもかなり充実した補助金/助成金/支援を用意している。物件情報の方はR不動産でも発掘して掲載も徐々に始めている。ご興味ある人は見てみてください。
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[参考文献]
『むかしの六甲・有馬 絵葉書で巡る天井のリゾート』神戸新聞総合出版センター 2011年
『六甲山に生きる人々』 田中星山・著
(コラム執筆=安田洋平)