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NL/TALK 2023シリーズ Vol.2 松本紹圭さん 今日の私が明日の私のアンセスター

6月24日(土)、僧侶の松本紹圭(まつもとしょうけい)さんをROKKONOMADに招き、一緒に山歩きをした後「コモンズ」についての考察を聞くというイベントを実施しました。松本さんは書籍『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』の訳者としても知られます。よき祖先になるとは、どういうことなのでしょうか。

松本紹圭さん

フリーランスのような僧侶

今から20年前、2003年に大学を卒業して僧侶になりました。もともとお坊さんは世襲が多いのですが私の場合はそういうわけでもありませんでした。母の実家が寺でしたから、お坊さんやお寺自体は身近でしたが、僧侶とは家系の後を継いでなるものと思っていました。大学は哲学科専攻だったのですが、当時、同級生だったお寺の息子でもある友人から、後継ぎじゃなくてもお坊さんになる道があることを教えてもらい、そういう道もあるのかと、出家の道を選びました。

世襲で継がれる系譜の外からこの世界に入ってきた人間だからか、仏教世界と日常世界の架け橋的な存在になることをずっと意識してきました。大学卒業後、東京神谷町の光明寺に入門して以来、今も所属はしていますが、普段そちらに身をおいているわけではなく、実態的にはフリーランサーのように、所属にとらわれず比較的自由な動き方をしています。また、架け橋になるために必要と思いMBAも取りました。その後は、お坊さん向けのお寺経営塾を立ち上げたり、また自分自身で起業もして株式会社の代表もしています。

長期思考と「定期的な生まれ変わり」

コロナ禍の間に『グッド・アンセスター』という本の翻訳作業をしたのですが、そこでフォーカスされているのは「長期思考」という発想です。

私は産業医ならぬ産業僧という立場で、企業に勤める人々を対象に、仏教の知恵を活かしてひとりひとりの、同時にその関係性のうえに生じる集合的な苦をほどき、気づきへとつなげるサポートも行っています。そこには、いかに長期思考を取り入れるかというテーマも含まれます。今や企業において、持続可能性は主要な命題です。その実現に向かおうと取り組む際に、ものごとの「ある部分」や「その場面」を切り取って、そこに表れている事象を短期思考で捉えても、根本的な課題にたどり着けないことがある。それはそういうことに陥らざるを得ない構造的な問題があるわけです。もともとはそうではなかったのに、なぜこんな風になってしまっているのかという事態がいろんな会社で起きている。

要は代謝がうまくいっていないということなんです。

これは人が寿命をどう捉えるかということとも関係すると思います。人生100年時代、寿命が伸びました。
それはもちろん素晴らしいことです。「人間50年」と言っていた信長の時代と比べると2倍、いわば2回転分にもなっているわけです。

でもそんなにあるのに、皆落ち着いて考えて、どう生きるかを真剣に悩んだり、創造したりできているかと言えばまったく逆なのが現実です。より長生きになったにもかかわらず、短期思考がエスカレートしている。死は必ずやってくるのに、寿命が伸びたことで、先伸ばしする傾向が加速してしまっている。極端に短期思考になりがちなこうした現状を、私たちはどうやって克服していけばいいか。

たとえば伊勢神宮では、20年に一度の間隔で神殿から調度品までそこにあるものすべてを新調して入れ替える「式年遷宮※」という仕組みが、1300年以上前から現代まで続いています。私たちも、ひとりひとりの人生にせよ、企業のあり方にせよ、未来からさかのぼった「今」という捉え方をしつつ、「何度も生まれ変わる」発想が必要なんじゃないか、というのが現在のところの私の見立てです。

※式年遷宮……神社で一定の周期ごとに新殿を造営して旧殿の神体を移すことを式年遷宮という。約1300年にわたって20年に一度の間隔で行われ続けている伊勢神宮の式年遷宮が有名。

時代によって書き換わる「つながりの物語」

「コモンズ」という本日のテーマとも関係するかもしれませんが、今、家族というつながりの物語が絶対ではなくなり始めています。

例えばお墓。墓石があって先祖代々その家の墓という考え方が当たり前と考えられてきました。でも家族という物語は、昔ほど強固ではなくなってきています。家のお墓を継ぐことを望まない方や、その必要性を問い直す方、そして、死後は「家」や戸籍から解放されたいと願う方もいらっしゃいます。

考えてみれば、家という制度が確立されたのは近代のことです。時代をさかのぼれば名字ももともとは武士くらいしか持っていなかった。お寺には過去帳というものがあって、檀家さんから頼まれて家系図を調べたりもするのですが、ある程度までさかのぼっていくと名字もなくなっていく。魚屋をしているから魚屋太郎のような呼び方。ファミリーネームという発想ではなかったのです。

つながっていたいと思う対象が「家」ではなくなりつつある。人によっては、より大きなものとの関わりに身を委ねることにリアリティーや意味を見出し、死後は大地(地球)に還ることを望んで樹木葬※を選択する人も増えています。
※樹木葬……墓石の代わりに樹木を墓標とする墓。

また、最近、オランダで「ヒューマン・コンポスティング」という埋葬方法を見学してきました。有機ゴミから堆肥をつくることやその器をコンポストと言いますが、ヒューマン・コンポスティングは、人間の遺体を堆肥化して大地に戻す埋葬法です。

興味深かったのは、棺の材質がキノコの根に当たる菌糸体で出来ていることです。棺をそのままにしておくと、菌糸体が分解してくれる。火葬をしないのでCO2排出もありません。

このように、死が家族という文脈の中で位置づけられるのではなく、自然や地球という物語と結びつき始めています。
「おじいちゃんの土で出来たトマトだよ」。もしかするとそんな光景が将来有り得るかもしれません。死んだら終わりというのでなく、分解されて、より大きな循環の中、地球レベルでの代謝の中に入っていく。『グッド・アンセスター』の中でもワンプラネットという言葉が出てきますが、つながりの物語が書き換わろうとしています。

未来志向としての寺院

書籍『グッド・アンセスター』における大きなテーマは、サブタイトルにもある通り、「私たちはよき祖先になれるか」です。

日本には先祖供養を大切にする文化があります。ただ、若い世代にその話をしたときに、なぜご先祖様を大事にしなくてはいけないのですか?と聞かれたらどう答えればいいのだろう?と、ずっと考えていました。

そもそもお釈迦様も親鸞も、仏教とは先祖を大切にする思想だと名言してはいません。伝統的に日本において先祖を大切にする精神文化があることは事実ですし、私自身も先祖供養し過去に生きた人に想いを向けることは大切だと思ってきました。しかし、この本『グッド・アンセスター』をきっかけに、「今生きている私たち自身が誰かの祖先になる」という言葉に出会えたことで、未来に生きる人に思いを向けることをより意識するようになりました。

『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』(ローマン・クルツナリック・著 松本紹圭・訳 あすなろ書房・刊)

今日この場所に集まっているメンバーは100年後たぶん誰一人生きていないでしょう。2123年には世界の景色がどれくらい変わっているのか。100年後、その人たちから見たときに私たちはどういう祖先として振り返られるのか。そんなことを思ったとき、お寺とは過去のことのみを見るのでなく、今生きる私たちが未来世代とつながっていくことに思いをはせる場所でもあると、意識を拡張できたのです。

昨年、ドバイ・フューチャー・フォーラム(ドバイ未来会議)に招待いただきました。そこには、世界のフューチャリストと呼ばれる人々が集い、これからの世界がどうなっていくか、未来のシナリオを予測しながら、現在取るべき方針や計画を立て、政策に反映させていこうという取り組みがあります。そうしたシナリオプランニングを世界で共有することも必要ですが、一方で、ひとりひとりの日常のなかで成し得る、より地に足のついた未来との関わりも大切なように思います。

それは、「今日の私にとっては昨日の私が私のアンセスターで、今日の私は、明日の私のアンセスターである」と、過去や未来をミクロに捉える視点です。今日の私がどう生きるかが、明日の私にとってのアンセスター(祖先)としての姿であり、その連続のうえに、人の生死をまたいでゆく未来がある。そうやって私たちは、循環し代謝しながらバトンが渡されていくということです。大切なことは、昨日と今日と明日、という歩みの中で、ひとりひとりがフューチャリストになるという意識を持つことかもしれません。

山とコモンズ

今この六甲山の上にあるROKKONOMADの空間が、オフィス街にあるビルの一室にそのままワープしたとしたら、きっと気分はまた違ったものになりますよね。

都市の中にずっといると、あたかも人間だけで世界が成り立っているかのような錯覚に陥ってしまう。ひたすら他人の話をしてしまったり、たくさんの人の中にいるはずなのにどこか孤独であったり。都市の中にいると正気を失いやすい。

でも、山にいるとその意識自体が自然と変換されていく。この世界は人間だけで成り立っていたわけではないことを否が応にも感じさせてくれ、正気を取り戻させてくれる。

もちろん都市は都市で好きと感じる瞬間もあるでしょうし、必要に応じて関わりを持てばいいと思います。でもそうじゃないチャンネルを持つのも大事で、それが山なのかもしれません。街の中にあるお寺でも名前に山号がついているのは、都市の中で正気を失いやすい私たちにとっての、別のチャンネルの場所だということを象徴しているのかもしれません。

松本紹圭プロフィール
世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leaders Alumni、Civil Societyメンバー。株式会社Interbeing代表取締役。武蔵野大学客員教授。東京大学哲学科卒、インド商科大学院(ISB)MBA。2012年に未来の住職塾の立ち上げ、現在まで講師を務める。著書『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は世界17ヶ国語以上で翻訳出版。翻訳書に『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』(あすなろ書房)。noteマガジン「松本紹圭の方丈庵」発行。ポッドキャスト「Temple Morning Radio」は平日朝6時に配信中。「Post-religion時代における、仏教とは?」をテーマに、2500年を経て受け継がれる仏法の智慧を現代に照らし、次世代を視野に入れたウェルビーイングを仏道から探る。

https://shoukeimatsumoto.com/
https://note.com/shoukei/

(テキスト=安田洋平)